昭和という時代
ちゃぶだい、時計、ラジオ、机、テレビ、レコードプレーヤー、書籍などがとても懐かしく思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。 夕暮れ時、かあさんの包丁の音と、遠くで聞こえるとうふ売りの音色。その時、時間はゆっくりゆっくり過ぎていきました。
まだコンピューターより人間が主役だったあのころ。現代のような使い捨て文化ではない“古きよき時代”をたまには眺めてみませんか? くらしと信仰
年中行事は季節に応じて去来する神々のまつりであり、人生の節目に祀る神霊、氏神などのように地域や村落全体で祀る神様のまつりは、人々連帯を強める役割も果たしています。 しばたの人々の生業昔の柴田の住人はどんな仕事をして生計を立てていたのでしょう。ちょっと覗いてみることにしましょう。 農業農業は土を耕し、そこで作物を育てて収穫するという一連の細やかな技術の体系から成り立っています。技術の中心には農具がありますが、農具には作物の性質や土地の自然条件に合わせて様々な改良や工夫が加えられ、常に生産性を高めるための配慮がなされてきました。したがって、農具を通してその土地の農耕の歴史や自然の捉え方を読みとることが出来ます。 鍛冶農村の人々にとって、鍬、鎌、鋤など農具や生活用具を作る鍛冶屋は欠かせない存在であった。ふいこで火をおこし、赤く焼けた金物を金ばさみで火などこの上によせて金槌で打って形を作った。農具の機械化にともなって鍛冶屋の存在も今では貴重になっている。 大工大工の仕事には、墨掛け道具、金尺、小刀、錐、槌、釘抜きなどの数多くの道具が使用されている。大工の多くはその村に住み、農業のかたわら大工仕事をしていました。また、大工の親方は棟梁と呼ばれ、多くの職人を統括していたことから大きな権限を持っていました。 狩猟狩猟は、農業の副業である場合が多く、野鳥や兎、狸などの狩猟が行われていました。鳥を捕獲するには樹皮からとった“とりもち”を使ったり、兎や狐を捕獲するには網やわなが多く使われました。江戸時代以降はさらに鉄砲も用いられました。 漁柴田町は、白石川や阿武隈川を抱えているいますが、こうした河川にはたくさんの淡水魚類が生息しています。これらの魚介類は重要なタンパク源でありました。素捕り、石たたき、追い込み、刺突、ウケ、釣など豊富な漁法が見られました。伝統的な漁法は、魚類の習性や河川の地形についての蓄積された知識に裏打ちされており、それに合わせて漁具にも土地に応じた様々な工夫が見られました。川漁は川の持つ豊かさの一面をしめすものです。
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