思源閣

昭和という時代

左の写真は、昭和30年代の一般家庭の部屋の様子を再現して展示しているものです。

ちゃぶだい、時計、ラジオ、机、テレビ、レコードプレーヤー、書籍などがとても懐かしく思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

夕暮れ時、かあさんの包丁の音と、遠くで聞こえるとうふ売りの音色。その時、時間はゆっくりゆっくり過ぎていきました。

夜はまだ暗く、家のあかりが非常に温かく感じられました。蛍光灯の白い色ではなく電球の色はとてもぬくもりがあったからなのかもしれません。そして、家族も・・・。

まだコンピューターより人間が主役だったあのころ。現代のような使い捨て文化ではない“古きよき時代”をたまには眺めてみませんか?

くらしと信仰

私たちは多くの神々と交流しながらくらしを営んできました。屋内には神棚や仏壇の他にも小さな神棚やお札などがあり、台所にはカマガミサマ、水場には水神様、外には屋敷の神様の祠などがあります。

年中行事は季節に応じて去来する神々のまつりであり、人生の節目に祀る神霊、氏神などのように地域や村落全体で祀る神様のまつりは、人々連帯を強める役割も果たしています。

しばたの人々の生業

昔の柴田の住人はどんな仕事をして生計を立てていたのでしょう。ちょっと覗いてみることにしましょう。

農業

農業は土を耕し、そこで作物を育てて収穫するという一連の細やかな技術の体系から成り立っています。技術の中心には農具がありますが、農具には作物の性質や土地の自然条件に合わせて様々な改良や工夫が加えられ、常に生産性を高めるための配慮がなされてきました。したがって、農具を通してその土地の農耕の歴史や自然の捉え方を読みとることが出来ます。

鍛冶

農村の人々にとって、鍬、鎌、鋤など農具や生活用具を作る鍛冶屋は欠かせない存在であった。ふいこで火をおこし、赤く焼けた金物を金ばさみで火などこの上によせて金槌で打って形を作った。農具の機械化にともなって鍛冶屋の存在も今では貴重になっている。

大工

大工の仕事には、墨掛け道具、金尺、小刀、錐、槌、釘抜きなどの数多くの道具が使用されている。大工の多くはその村に住み、農業のかたわら大工仕事をしていました。また、大工の親方は棟梁と呼ばれ、多くの職人を統括していたことから大きな権限を持っていました。

狩猟

狩猟は、農業の副業である場合が多く、野鳥や兎、狸などの狩猟が行われていました。鳥を捕獲するには樹皮からとった“とりもち”を使ったり、兎や狐を捕獲するには網やわなが多く使われました。江戸時代以降はさらに鉄砲も用いられました。

柴田町は、白石川や阿武隈川を抱えているいますが、こうした河川にはたくさんの淡水魚類が生息しています。これらの魚介類は重要なタンパク源でありました。素捕り、石たたき、追い込み、刺突、ウケ、釣など豊富な漁法が見られました。伝統的な漁法は、魚類の習性や河川の地形についての蓄積された知識に裏打ちされており、それに合わせて漁具にも土地に応じた様々な工夫が見られました。川漁は川の持つ豊かさの一面をしめすものです。

営業時間

9:00〜16:30

休館日

第1・第3月曜日

常時展示

365万日のしばた

観覧料

 

一般

高校生

小・中学生

個人

200円

100円

50円

団体

150円

70円

30円

お問い合わせ先

しばたの郷土館
宮城県柴田郡柴田町船岡西1丁目6-26
【TEL】0224(55)0707


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