自然豊かな45戸の小さな農村集落


春、田植えを終えた水田に蔵王が映える
夏、ホタルが乱舞する
秋、水田が黄金色に染まる
冬、めったに見れない雪景色

2012.3.29更新
 宮城県柴田町北東部にある純農村「上川名地区」のサイトにようこそ。

■上川名地区の概要と特性
 
△夏にはホタルが乱舞する45戸の自然豊かな集落
柴田町の北東部に位置し、地区の北東部は山林で岩沼市境になり、西部には田園地帯が広がります。町内最大の上川名貝塚は、縄文時代の貝塚として日本でも有名です。上川名城跡があり、「仙台藩古城書上」に上川名城主として上川名監物・勘十郎・市兵衛・五郎八郎・五郎太夫の名があるが、これらの人物の時代は特定できないとされています。地名の由来は定かではありませんが、柴田町史には、16世紀初頭につくられたと考えられる「柴田の長帳」に上川名蔵助の名があり、地名ではないが上川名の最も古い記事とあります。地名で年代の明らかなものとしては天文13年(1544年)の「伊達稙宗判物」があり、このなかで稙宗は上川名など5か所を四保四郎に与えています。

江戸時代まで長い歴史を背負った行政村であり、共同体的な組織体だった上川名が、明治5年4月に「上川名村」となり、自治の第一歩が始まりました。明治23年、入間野、四日市場、上川名、富沢、入間田、葉坂、成田、海老穴、小成田、船迫の10か村が合併して槻木村となりました。その後、槻木村は槻木町となり、昭和31年に槻木町と船岡町が合併して、現在の柴田町が誕生しました。
 地区の面積は約1.35平方キロメートルで、西築道下、東築道下、真坂、日向、小倉入、古屋敷、大鹿野下、大鹿野、入、押茂、大舘山、舘山、寄節、梅沢、江坪、塩塚、上戸、新蔵田、神廻り戸、竹ノ花、清水、四軒屋前、四軒屋道上、大坂、下沢、塩脇、蔵田、江崎の字からなります。
△里山と田園に囲まれている

 人口173人(男性90人・女性83人:平成23年11月1日現在)で、45戸(50世帯)の地区で、町の行政区(42)でも下から3番目に小さい区です。年少人口(14歳以下)15人:9%、生産年齢人口(15歳から64歳)107人:62%、高齢人口(65歳以上)51人:29%。昔から戸数にあまり変化がなく50戸前後で推移してきましたが、ここ2,3年で5戸減少し空き家が増えています。昭和40年代後半頃までは生活を農業に頼っていた家が大部分でしたが、現在は稲作との第2種兼業農家がほとんどです。専業農家は2戸で、60歳以下の男子で専業的に農業に従事している人はいない現状です。
 JR東北本線槻木駅、国道4号線まで約3km、県道亘理村田線まで約2kmの距離にあり、地区近くを走る富沢16号線が地区外へ通じる主要道路になっています。地区内の幹線町道は用排水路に挟まれ幅員が狭いうえカーブが多く、車の相互通行が難しい状況になっています。
 江戸の元禄時代から昭和50年代前半まで続いた村の相互扶助と最高意志決定を目的にした講である「契約講」をはじめ、山上講、鹿島講、古峯講、観音講、出羽三山講、念仏講、庚申講など、住民の親睦や融和を深める講が数多くありましたが、現在は2つの講が行われているだけで、他は休止になっています。区は5班に分けられ、納税貯蓄組合、冠婚葬祭、農作業など昔から隣近所を中心に相互扶助を行われてきました。青年、壮年など、本来集落の中で中心的な役割を果たすべき世代が大きく減少した一方で、高齢者が占める割合が高くなりましたが、地縁的結びつきの強い安定的な地域社会を形成しています。
 お寺、神社を維持し、貝塚や城跡、各講や孫授けなど歴史・風習に恵まれ、ホタルが乱舞し、水田・里山など自然
△槻木駅から上川名方面:右から突き出ている所が上川名
環境が豊かで、新鮮な野菜や山菜が食べられるなど、多様な地域資源を持っています。

 槻木小学校富上分校があったことにより、隣地区である富沢地区との関わりが深く、区民体育祭、敬老会、富上生涯館・富上農村公園運営など、共同で各種事業に取り組んでいます
 平成19年度から「農地・水・環境保全向上対策事業」に取り組み、平行して「地区の将来の農業を考える活動」を行っています。地域の自然・食・農・歴史を再生保全し、地域資源を活用して地区外との交流を活発にし、地域の活性化を図ろうと、平成22年7月に上川名地区活性化推進組合が発足するなど、柴田町でも一番と言っていいほど、地区全体で地域づくりに取り組んでいます。

■上川名貝塚
 古典的に著名な貝塚である。戦時中石灰肥料製造のため大部分は破壊された。調査の結果、上層はシジミ層、下層は蛤、アサリ、カキなどの貝層で、下層からは縄文早期(槻木2式)の土器、さらに上層からは撚糸文(よりいともん)竹菅文(ちくかんもん)羽状縄文(うじょうじょうもん)、しかも土器胎土(たいど)に繊維を入れて焼成した特徴のある土器(上川名式土器)が発見された東北地方縄文前期の標準形式になるなどのまことに貴重な貝塚である。
■鹿島神社
 武甕槌命(タケミカズチノミコト)を祀る。慶長年間(1600年頃)日向坊が常陸国鹿島神社より幣帛をうけ、これを奉祀したものと伝えられる。社殿の造りも鹿島神社を模したものといわれている。明治43年、入間田八雲神社へ合祀されたが、集落では今なお旧9月9日祭祀を続けている。なお、神社境内には「要石」や嘉永年間寄進の鐘楼、裏山下に鹿島明神貝塚がある。
■願王山能化寺(曹洞宗)
 阿弥陀如来を本尊とし、亘理郡祝田山常因寺第四世伝龍和尚の開山である。伝えるところによれば、慈覚大師が東国巡教の折、地蔵菩薩を刻んで安置したが、盗賊が誤って地蔵尊の首を斬り落として伝龍和尚に懺悔したところ常因寺を継がせられ、地蔵を供養し、菩薩のため一寺を建立したのが能化寺であるといわれている。なお、同寺前の町道は、梅沢溜池〜古屋敷〜大鹿〜野下を経て、岩沼市千貫北長谷〜竹駒神社へと通ずる。

■上川名地区計画
 柴田町では、平成23年4月に町政運営の指針となる「第5次柴田町総合計画」を策定しました。8年後の町の将来像を「みんなで育てる 笑顔輝く 元気なまち」と定め、「参加と協働」「情報の共有」を基軸に、住民一人一人が持つ創造的な力を都市づくりや地域づくりに活かす「住民自治の実践」によって、柴田町の潜在能力を開花させようとする計画です。
 上川名地区計画は、柴田町の理想実現の一翼を担い、一番身近な生活圏である上川名地区のあるべき姿を描くものです。地区の課題を解決し、長所や魅力を伸ばし育み、上川名地区の自主的・自発的・自律的な地域づくり活動の指針として平成24年2月に策定しましました。

 ◇上川名地区計画(平成24年度から28年度)  PDFファイル
 ◇上川名地区計画の実践計画           PDFファイル
 ◇上川名地区計画の推進体制           PDFファイル

◆交通 JR東北本線「槻木駅」から徒歩40分、車で7分。車でお越しの場合は、国道4号線と県道亘理村田線の交差点を村田方面に向かう。JRの陸橋を下り左手に槻木小学校脇の交差点(信号機)を右折し、100m程行ったT字路を左折し水田の中を走る。五間堀を過ぎ1km程走ると「みちのく工芸」の看板があるので、その交差点を右折すると集会所(レストラン)が見える。集会所の後ろが「みちのく工芸」の工場。