上川名地区の風習と年中行事

■上川名地区の風習
△秋の彼岸に行われる念仏講
 昭和40年代前半頃まで、山の神を信仰した山上講の「一升もち」(年4回1/25.2/25.10/8.11/25)60日ごとにめぐってくる庚申の日に行われる作神の信仰の「庚申講」などが行われ、宿になった家に集まり夜を徹して四方山話に花を咲かせ、親睦を深めた。集会や旅行に厳しい制限があった藩政時代の名残と思われる。

 地元の鹿島神社の信仰である「鹿島講」(1/9)火伏せの神の信仰である「古峯講」(1/13)お産の神を信仰する「観音講」(1/17)や「念仏講」(9/22)が毎年行われ世代間の交流や地区民の親睦の場になっていたが、現在で行われているのは「観音講」「念仏講」だけである。
 上川名で最も古く伝統があり格式があるのが「契約講」である。江戸の元禄時代から続く村の相互扶助と最高意志決定機関を目的にした講である。昭和始めまでは年3回、昭和37年頃までは年2回、以降は年1回行われている。昭和30年前半頃までは、羽織袴で出席しなければならなかった格式が高く厳格な講である。ごく最近まで女人禁制であり、一家の家長しか出席できず代理も認められない、伝統のある講でもある。現在では、伝統を継承しつつも今風にかわりつつあり、名称も区の総会に変わった。

△「鹿島講」と「古峯講」は2班に分かれて20年程前まで行われていたが、現在は休止。
△年取りには各家でしめ縄をない神棚や作業場、氏神、井戸などに飾ったが、現在は購入する家が多くなった
△正月14日には「ヤーホイホイイ」と唱えながら家から神社にお正月さんを送ったが、今はどんと祭に変わった
△午前0時に暁粥(あかつきがゆ)を供えてお正月さんを送った
△お盆にはも盆棚を飾ったがた、今は簡略している家が多くなった。

《孫授け》
 
△正月の14日に新婚の家庭に孫授け
△上川名に子どもを授からない家がないと言われている
故老の話では、明治以前から行われていたとのことだが、いつから始められたかは定かでない。正月の14日の夜(旧正月でも14日であった)に、前年に誕生した若夫婦の家に、人形の赤ん坊を作って持って行き、子供が授かるようにお祝いに行くのが孫授けである。隣組の人達が七福神に扮し、人形の赤ん坊をあやしながら「舞いこんだナー!舞いこんだナー!福の神が舞いこんだナー」の掛け声とともに、縁側から入り込むのである。人形の赤ん坊を背負うのが子守役、赤ん坊をあやしたり鳴き声をすのがだましやくである。

 七福神を迎えた家では、顔を上げないでいる七福神に対して「名前を名乗ってください」と若夫婦の父か母が言い、「私は恵比寿神です」「私は??神です」「私は??神です」と答えて顔を上げ、赤ん坊を父母と若夫婦に手渡す。赤ん坊の名前などを聞いたりして、本物の赤ちゃんのように、七福神と父母と若夫婦が掛け合いをするのが妙である。
 父母が赤ん坊を寝せて「赤ちゃんも静かに寝たようなので、何もありませんがお祝いですから酒などを」と、なって宴席になる。宴席になっても「おしめ大丈夫」「赤ん坊が泣いている」等と、掛け合いが入る。
 昔の七福神の恰好は、長衣装姿と頭に半纏を被っていたそうであるが、現在は普段着と頭にタオルを被った恰好で行っている。
 人形の赤ん坊は、隣組の宿家で作り(頭として瓢箪を使い着物を着せ帽子をかぶせる)前酒を飲んで出発する。人形の赤ん坊の名は「福太郎」と決まっているようだ。
 孫授けに来てもらった家では、後日、宿家にお酒を持ってお礼に行く班もある。
 故老の話では、孫授けを行って、子供ができない夫婦はいないとのこと。終戦後に名取市に住んでいた上川名生まれの42歳の方が、夫婦で帰ってきたが、子供ができないということで、孫授けを行ったら子供ができた(渡辺久さん)話や、昭和50年頃には隣地区の子供ができない家から頼まれて孫授けに行ったら、次の年に生まれて感謝された(入間田の菅野さんや富沢の百々さん)話がある。
■上川名地区の年中行事
△鹿島神社で行われる元旦祭
△能化寺駐車場で行われるどんと祭
△富沢地区と合同で行う敬老会は33回を数える(6月)
△富上地区子供会育成会の天神祭(7月)
△8月15日に能化寺で行われる盆踊り(30数年前から行われている)
△富沢地区と合同で行われる区民体育祭。41回を数える。
△鹿島神社の例大祭。旧暦で9月9日だが新暦の前の日曜日に行われる。神輿渡御は4年に1回。
△地区には鹿島神社と水分神社の二つの神社がある。水分神社の例大祭は旧暦の10月8日
△自主防災組織の結成は平成6年で町でも一番早い。2年に1回地区あげて防災訓練を実施。
△若名会が暮れに鹿島神社にしめ縄を奉納する